推しという存在について
重めの荷物を持ち、歩き疲れた矢先に思い付いたことです
推し、ってなんだろう
私は誰かを、何かを推すということは熱意を持つことだと思っています。
熱意を持って応援する、追いかける。
そうやってファンをすることが推してるってことなのかなぁと思っていました。
確かに辛いこともあります
適当にと言えば聞こえは悪いですが、ただ好きなだけでは味わうことのない謎の苛立ちやもどかしさ、落選した悲しみ、情報に常にアンテナを張る疲れも時々感じます
ここでひとつ
それはお金をかけるだけのことではないと思います。
確かにお金は必要です。
お金をかけることなしに音楽を聴くことはできないのです
しかし、だからといってすべてのシングルとアルバムとライブCDを買え!不法アップロードの動画は全て報告して根絶やしにしろ!とは思いません
私もYouTubeで音楽を聞いたことくらいあります
すべてのシングルを買うことは一人暮らしの今、到底できそうにないです、とても悲しいです
なので、そういう人が嫌いとかそういうことではないです
しかし、買う・正規ルートで聴くという「選択肢」を頭のなかから排除する人には「え・・・?」と思ってしまいます
それはいけない
昨今ではデジタルミュージックでシングル発売と同時かそれよりも早く配信が開始します
シングルがインストロメンタル込み4曲1200円くらいだとしてもデジタルミュージックで歌入り2曲だと500円です
素晴らしくないですか?
500円ならどうにかできる気がします
しかも最近は聞き放題などの定額サービスもあります
サイトによりますが月498円ほどで聞き放題、もう現代万歳すぎる
話がだいぶ逸れてしまいました
お気づきの方もいるでしょうが、今さんざん多用している「推し」はキャラクターのことではなく、今回は音楽グループや歌手のことを指しております
このことについて、わりと前から頭のなかで常にもやもやはしていました
はっきりと思いが募ったのは、ある先日の訃報です。
日本中に走った悲しみ、その渦のなかに私も確かにいました。
当然、弔いの声はTwitterにも溢れていました
呆然としたままTwitterを見て、謎の疑問やもやもやを感じました
「昔」に聞いてた言ってしまえば数多ある「ボカロ曲」を作った人がお亡くなりになった悲しさ
今の活動を、その人の生きざまを、好きな人の悲しさ
私は少なくとも「昔」聞いていて今も好き、というだけではなかったな、という思いを抱いておりました
話は別にここから発展するわけではありません
し、この件についてはこれ以上言及するつもりはありません
なにか言えるほど頭も整理できていません。
最初に言った、熱意を持つことが「推す」ことならば、それをしてる人、推しをもってる人って以外と少ないんじゃないかなあって思ったんです
別に、それが良いとか悪いっていうことではないですが。
この感覚は「好き」な人ならみんな同じなんだと思っていたんです
でも違うんじゃないかな、いや、違うんだろうなってふと考えが変わりまして
確かに話が妙に噛み合わない…っていうことけっこうありますよね
そうか、そうだったのか、って思いました
推しのいる生活は楽しいです
疲れや辛さを感じることがあっても、それでもそれ以上の感動や興奮があります、私は
気付いちゃったぜーって話です
それだけです
それでは。