【中途半端な優しさ】
人に向けて向けられ、自分に向けて、怒りや悲しみ憎しみ妬み嫉妬喜び憎悪嫌悪好意、誰だっていろいろなことがあって、いろいろ思うとこはあると思います
自分自身が好きじゃないなんて言っても、それが本当でも、誰しも自分のすべてが好きな訳ではないのだろうし、自意識過剰のレトリックなのかもしれません。
自分がどう思ってるかが皆に伝える前にその先の余計なことを憂い、伝わり方が変わることもあります。
それは自分の全てを明かせば、きっと全て解決します
でもそれが果てしなく難しい時期があります
人にもよるでしょう
雰囲気にもよってしまいます
話が反れました
人のこと嫌いとか好きとか、いろんな想いや感情が在る中、無関心もあるじゃないですか
心底どうでもいい、なんとも思わないってやつ
あれの逆って「中途半端な優しさ」なんでしょうか
直感ですが
中途半端な優しさ、は確か高校の国語の模試かなにかで出てきた言葉で、私の好きな言葉です。
その評論の点数はすっかり覚えてませんが、テスト中読んだときに共感×10000000000みたいな気持ちになったことを覚えています
例えば、怒りを「強化系」、悲しみを「変化系」とかに分けるとすると、私にとってその優しさは「特質系」以外の何物でもないんですよ
なんでそういう発想になるの?とかどうしてそっち!?みたいな
話してて何回も「オオオオオオイ!!!」ってなる
はっきり言って理解不能
行う側は同情を避けるとかそもそも他人にそんな優しくする性格ではないとかいろいろあるんでしょう、それはなんとなく少し考えれば予測はつきます
無関心だからこそ優しさを振り撒くのか
優しいからこそ無関心なのか
優しいからこそ薄いのか
よくわからない
本題に入ります
その読んだ評論には「中途半端な優しさは逆に人を苦しめる、そんなものはないほうがよっぽどましだ」と書いてありました(気がする)
それを振り撒く側はその考えにはなぜ全く至らないのか?なぜ気付けないのか?が一番謎です
嫌いではないのです
どうしても批判腰に見えると思うんですけどそうでもないです
ただ謎なだけなんです
きっと同じものを見て、同じものを聞いても、その人とは全く違う感想が生まれるんだろうと思うほどにきっと逆なんです
むしろ面白いですよね、興味深いので好きです
でもワガママな話なんですよ、この前提自体が
もとの評論をいい感じに忘れかけた今だから書けるのですが、「中途半端な優しさ」自体がワガママだなとも思います
思えるようになりました
だって、その人からしたらそれは「中途半端」じゃなくて全身全霊であるかもしれないじゃないですか
優しさの度合いなんて伝わりやすいものじゃないし、分からないじゃないですか
それなのに「こいつは中途半端だ!」と頭で解釈してあまつさえそれを「無いほうがまし!迷惑!」と言い切るなんて、それこそやばい奴って感じがします
一方は困っている人に優しさを向けている、しかしもう一方は中途半端な優しさに怒る
こんなことが起こり得るという恐怖
でもこれはすごく絶妙なバランスでしか起こりません
野次馬根性70%くらいの優しさを向けている、ならば怒りが正当に見える
怒っている方が素直に受け止められず中途半端だと決めつけているのなら優しさがすれ違っている
どっちもありですね
怖すぎ
でも邪魔で迷惑だって決められる人も凄いです
私ならきっと本当の辛さを感じたら、中途半端だろうと誰かと話すことや優しさを向けられることを願ってしまいます
心が弱めなので
【中途半端な優しさ】は主観にささえられた崩れやすく脆くなんともアンバランスなものなのにそうだとわかっていても
…ここまで散々いろいろ言っといてですが
私的にはとてもウザイです
いやうざいだろ普通に
理由なんて正直ありませんけど
ふつーーに腹立つんだよなぁ何様だお前はみたいな
つか察しろよって思いません?思う
まあそんな人はそうそういないけど
何年も言葉にまとめてさっさと割りきりたいのにどうにも煮え切らない
今日もだめでした
まあ、分かる必要も別にないのだけど。
以上、独り言です
それでは